妙蓮寺 浄土真宗本願寺派

葬儀法事について

葬儀法事について

葬儀法事について

年忌法要(表)

年忌法要 令和6年
一周忌 令和5年ご逝去
三回忌 令和4年ご逝去
七回忌 平成30年ご逝去
十三回忌 平成24年ご逝去
十七回忌 平成20年ご逝去

葬儀とは

愛する方との受け入れ難い別離の悲しみの中にあって、遺族・知人と共に故人を偲びつつその悲しみにいつでも寄り添い続けているご本尊(阿弥陀仏)のお慈悲を聞かせていただくことを大切にしております。

四十九日しじゅうくにち法要(満中陰まんちゅういん)とは

死亡日から数えて七日目を初七日しょなのかといい次の七日目を二七日ふたなのか、以後三七日みなのか
というように七日ごとに勤める法要を中陰法要といい最後の七七日(四十九日)は満中陰(中陰が満る)としてとくに丁寧にお勤めする習わしになっています。

<注意>
「四十九日は早く行った方がよいのですよね?」というご相談をよく受けます。
これは「四十九日が三か月に渡るとよくない」という迷信から来ているようです。「始終苦しじゅうく(四十九)がにつく(三月)」という語呂合わせの迷信です。前述いたしましたように、浄土真宗では法事法要はすべて参拝している一人一人が南無阿弥陀仏のお救いを聞かせていただくためのものです。

入仏にゅうぶつ法要とは

新しくお仏壇、過去帳、お位牌を求められご本尊(阿弥陀仏)をお迎えするとき行う法要のことをいいます。尚、浄土真宗では「お魂入れ」、「開眼」、「性入れ」という言葉は使いません。


 

葬儀法事Q&A

浄土真宗では、なぜ葬儀法事を行うのですか?

葬儀法事は亡くなった方のために行うのではありません。お参りしている一人一人が阿弥陀仏の救い(南無阿弥陀仏なもあみだぶつ)を聞かせていただくためです。

亡くなった人をどのように供養(くよう)したらいいのですか?

阿弥陀仏の救い(南無阿弥陀仏)の中にその意味も含まれており、いのちの問題がすべて阿弥陀仏の浄土で解決されます。阿弥陀仏は煩悩の束縛の中で苦しみを抱えまともな供養すらできないもの(この私)のために、平等で苦しみのない浄土を建立されました。その浄土こそが亡くなられた方々とも新しく仏としてお会いできる世界です。そのことを『仏説阿弥陀経ぶっせつあみだきょう』には「俱会一処くえいっしょ」と説かれてあります。南無阿弥陀仏とは浄土ができあがっていることを教え必ず往生させるといつでもどこでも見捨てることなくよりそってくださる阿弥陀仏のお慈悲そのものです。その話を聞き疑いなく感謝するところに不思議と供養の本当の意味が知らされます。

通夜葬儀で亡くなった人を思うことはあまりよくないのでしょうか?

いいえ違います。大いに思い偲んでください。実はその時こみ上げる悲しい気持ちが本当のいのちの問題を問いかけるご縁になっているのです。そのことを教えてくださる尊い方であったとお敬いいたします。

いのちの問題とはどういうことでしょうか?

仏教ではいのちの問題とは「生老病死しょうろうびょうし」が思いどおりにならない、また、いつどのようになるのかわからない苦しみであるといいます。亡くなられた方をどうにかしてやりたいと思っても、どうすることもできないのが現実です。では「なぜ生老病死にこの私は思い苦しむのか」と深く自分自身に問いかけることができているとき、そこに仏教を聞いてゆく本当の入口があります。

入口に行くとどうなりますか?

法要時お経を聞いている私自身が無明煩悩むみょうぼんのうというものを抱え、それが生老病死、特に「生死」という根本問題を自己中心的に考え結果、迷いの世界をさまよい続けてきた存在であったという話が頷けるようになります。そして浄土真宗で葬儀法事は誰のためでもなく自分自身が南無阿弥陀仏の救いを聞かせてもらうためであったという意味がわかってくるのではないかと思います。

※浄土真宗が生前法名をすすめる理由も、生きている内に阿弥陀様のお救いを聞かせていただくためであります。

 

お布施について

お布施に関しましての意味は「よくある質問」ページに書かせていただきました。
とはいえ、どうしても金額が気になる方には、現在ではインターネットであらゆる情報が掲載されるようになりました。ご参考まで、拝見しますとだいたい通夜葬儀15万円~30万円、一日葬10万円~20万円、四十九日や回忌法要で3万円~5万円が相場となっているようです。

 

葬儀、四十九日、年忌法要、月命日、初参式、帰敬式など、仏事に関することは何でもお気軽にお問い合わせください。

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